天使展と祭りの後 ― 2022/03/20
去る3月11日、無事に個展「天使篇」を終了する事が出来ました。不安定な状況の中、お越し下さった皆様に深く感謝しております。
今回の個展は、コロナの影響で空いてしまった画廊空間を埋めるべく、たまたま相談を受けた自分が引き受ける事になり、急遽開催となった展示会でした。
ギャラリー枝香庵の3部屋とも使用するとなると相当数の作品が必要です。当初予定していた50点程度から、予備で用意した作品10点も含め、最終的に60点の展示となりました。こんなに沢山の作品を展示したのは、4室を使用した2007年の高崎シティギャラリー以来です。また急な話とは言え、展示を行うからには何らかのテーマが必要であると思いました。今回天使に関する展示にしたのは、手持ちの作品(在庫?)の多さからでありました。過去に制作した天使系の版画と立体作品なら、何とか3室を満たせると思いタイトルを「北見隆版画・立体作品展『天使篇』」と命名致しました。決してコロナ下の今の世情を憂いてという殊勝な気持ちからでは有りませんでした。ただ展示直前にウクライナの侵攻が始まったり、これも恥ずかしながら最終日になるまで気が付かなかったのですが、展示最終日が震災追悼の3月11日でもありました。午後2時46分に時計台からの鎮魂の鐘の音が、窓の隙間から会場に響き渡るのを体験し、この時期に天使展を開催出来て良かったと思いました。必然のような偶然に感謝しております。
天使の絵は10年ほど前まで、それこそうんざりする程描いていた時期がありました。何とかそのワンパターンを打破したいとあがき続け、やっと最近抜け出せた気がしていたところです。人には天からの使命がやっと終わった、などと言っていたのですが、今回の展示で、もう暫く描き続けよと言われた気がいたしました。あるいは年齢的に自分があっちの世界に、呼ばれているだけなのかもしれません。
なお展示が終了した現在、戻ってきた大勢の天使達に部屋の半分を占領されております。
今回の個展は、コロナの影響で空いてしまった画廊空間を埋めるべく、たまたま相談を受けた自分が引き受ける事になり、急遽開催となった展示会でした。
ギャラリー枝香庵の3部屋とも使用するとなると相当数の作品が必要です。当初予定していた50点程度から、予備で用意した作品10点も含め、最終的に60点の展示となりました。こんなに沢山の作品を展示したのは、4室を使用した2007年の高崎シティギャラリー以来です。また急な話とは言え、展示を行うからには何らかのテーマが必要であると思いました。今回天使に関する展示にしたのは、手持ちの作品(在庫?)の多さからでありました。過去に制作した天使系の版画と立体作品なら、何とか3室を満たせると思いタイトルを「北見隆版画・立体作品展『天使篇』」と命名致しました。決してコロナ下の今の世情を憂いてという殊勝な気持ちからでは有りませんでした。ただ展示直前にウクライナの侵攻が始まったり、これも恥ずかしながら最終日になるまで気が付かなかったのですが、展示最終日が震災追悼の3月11日でもありました。午後2時46分に時計台からの鎮魂の鐘の音が、窓の隙間から会場に響き渡るのを体験し、この時期に天使展を開催出来て良かったと思いました。必然のような偶然に感謝しております。
天使の絵は10年ほど前まで、それこそうんざりする程描いていた時期がありました。何とかそのワンパターンを打破したいとあがき続け、やっと最近抜け出せた気がしていたところです。人には天からの使命がやっと終わった、などと言っていたのですが、今回の展示で、もう暫く描き続けよと言われた気がいたしました。あるいは年齢的に自分があっちの世界に、呼ばれているだけなのかもしれません。
なお展示が終了した現在、戻ってきた大勢の天使達に部屋の半分を占領されております。
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